南極大陸発見以前に南極大陸を示した 「ピリ・レイスの地図」
2、地図に描かれた“南極”の謎
text by 網屋徹
ここで、ちょっと「南極」にスポットを当ててみよう。南極大陸が発見されたのは1818年。「ピリ・レイスの地図」の作成から300年の歳月を経て世に出てきたわけだ。周知の通り、現在では南極大陸は厚い氷に閉ざされている。世界地図やなんかに描かれている南極大陸は、氷に覆われた大陸の姿だったりする。ところが、「ピリ・レイスの地図」には、氷の下に隠された真実の姿、つまり氷ではなく南極大陸自体の稜線が克明に描かれているのだ。ちなみに、南極大陸の地形が明らかになったのは1958年。「ピリ・レイスの地図」の完成から、実に400年以上が経過している。
さて、その南極大陸。今でこそ“氷の大陸”になっているわけだが、氷に覆われていない時期もあるにはあった。その時に測量していれば、“正確な”地図の作製はもちろん可能なのだが、問題なのは、それが現人類誕生よりもはるか昔々であることだ。一般的には、南極大陸が現在のように氷に覆われてしまったのは、数百万年前だとされている。「古代の地図20点を参考にした」というピリ・レイスの覚え書きを信じれば、その時期に作られた地図を参考にしたのでは?と考えたいところだが、ムーやアトランティスなどの伝説上の古代文明でさえ、その起源はおよそ1万数千年前。いかんともしがたい時間の壁が、その間に立ちはだかっている。
ここで注目したいのが、チャールズ・ハプグッド教授が提唱した「地核移動説」だ。ハプグッド教授は、自らピリ・レイス地図の研究を行った人物。彼の地核移動説によると、南極大陸は、地核全体の数回に渡るズレによって、北から南へ移動していったのだという。ハプグッド教授は、
現在よりもはるか北方の、暖かな地域(現在の南極と比べて、という意味で)にあった頃の南極大陸は、少なくともピリ・レイス地図に描かれているクイーン・モード・ランド地方は氷に覆われてはいなかった、という結論に達したのだ。紀元前1万4000年〜同4000年までの期間であれば、沿岸地方の測量は可能だったのでは?というのが、ハプグッド教授の説である。
この説を容れるとするならば、ムーやアトランティスなどの古代文明が栄えた時代に測量は可能だったハズである。ただし、ハプグッド教授の地核移動説自体が現在では否定されてしまっているに等しいので、眉に唾を付けて考える必要はあるかもしれない(もっとも、ムーやアトランティスなどの文明も存在が実証されたわけではないが。しかし、そんなことを言ってしまうと、ピリ・レイスの地図でさえも眉に唾をつけて見る必要が出てくるのだが、そんなこたぁこのHPで言うべきではないでしょう)。
じゃあ、ピリ・レイスが“参考にした”地図はいつ作られたものなのか? 「マッパ・ムンディス」と呼ばれるこの古代地図は、有史以前に作られたという説が有力ということになるだろうか。いずれにしても、ピリ・レイスの地図には、人智を超えたなにかが大きな影響を与えているのである。この地図には、未だ解明されない「謎」というロマンが隠されているのである。
次回はマッパ・ムンディスについていくつか触れてみたい。