南極大陸発見以前に南極大陸を示した 「ピリ・レイスの地図」
1、謎が謎を呼ぶ「ピリ・レイスの地図」
text by 網屋徹
1929年11月9日、トルコのイスタンブールにあるトプカピ宮殿博物館で、羊皮紙に描かれた地図の二枚の断片が発見された。1513年作成と書かれた一枚にはスペイン、西アフリカから、南北アメリカの東海岸までが、1528年作成とされるもう一枚にはグリーンランド、カナダの一部、北アメリカの東海岸が描かれていた。地図の制作者は、オスマン・トルコ帝国の第10代スルタン、スレイマン一世に仕えたアフメト・ムヒディン提督。「ピリ・レイス」(レイスは提督の意)として知られる人物である。この二枚の地図のうちの、1513年に作成された一枚が、いわゆる「ピリ・レイスの地図」と呼ばれているものだ。
優秀な提督であるだけでなく、地図の制作者兼収集家でもあったピリ・レイスは、その死後にも使われた地図帳『キタビ・バーリエ』(海の書)を始め、多くの地図を作った人物。そんな彼が作った数多くの地図の一枚だけが「ピリ・レイスの地図」として取り上げられるのには、当然わけがある。コロンブスによって発見された直後のアメリカ大陸に加え、16世紀当時にはまだ発見されていなかったハズの南極大陸が描かれているのだ。
1965年、トルコ人の海軍将校から地図の写しを手に入れた、アメリカ海軍水路部のアーリントン・H・マラリー大佐は、この写しに興味を持ち、徹底的な調査を開始した。彼はまず、描かれている地形が奇妙にひずんでいることに注目した。分析を進めるうちに、ひずみの具合が「正距方位図法」によるものに酷似していることがわかった。
正距方位図法とは、中心からの方位と距離を完全に正しく表現するもので、主に航空関係用に用いられる図法。地球を高々度から俯瞰した場合の情景を思い浮かべると想像が付くと思うが、真下に見下ろす地域はほぼ正確な地形が見えるのに比べ、円周に近づくにつれて、地形のひずみは大きくなる。
調査の結果、「ピリ・レイスの地図」は、エジプトのカイロを中心とする正距方位図法によって描かれていることが判明した。南アメリカとアフリカの両大陸の位置関係が、正しい経度で描かれていたのだ。両大陸の経度上の正確な位置関係が確定されたのは、「ピリ・レイスの地図」が作成からおよそ200年後のことであるにも関わらず、である。
さらに調査を進めるうちに、南極の「クイーン・モード・ランド」と呼ばれる地域の沿岸線が、正確に描き込まれていることがわかった。南極大陸の存在が確認されたのは1819年のこと。南極大陸が描かれていることだけでもオドロキなのに、地図に図示されているのは、1949年にイギリスとスウェーデンの調査団によって明らかになった、氷の下に存在する「大陸」の沿岸線であった。
ピリ・レイスは、前述の『キタビ・バーリエ』と、1513年作の海図の覚え書きの中で、地図の作成に当たって古代の地図20点を参考にしたことを記している。“未発見”だったハズの南極大陸の情報は、太古の文明によってもたらされたものだったのだ。